明けましてオメデトウございます

nobita7202014-01-04

新年の挨拶がすっかり遅くなりました。
年賀状を頂いた方々やメールで年賀を頂いた方々、
返信もできずにいる事を心苦しく思っておりますが、
こちらで挨拶させて頂きます。




新年も、宜しくお願い致します。




昨年は激変動の年でした。




長い間の一人暮らしから母との同居となり、
夜の自営業から介護ヘルパーの仕事へ転職し、
年齢が年齢だけに一苦労しました。




9月下旬から始まった介護の仕事は一から覚える事ばかり。
正直、辛いとか難しいと言う以前に、
これ程までに役立たずな人間だったのか…と、
どん底に落ち込む日々が続きました。




実際、転倒が即時寝たきりに繋がったり、
徘徊癖の人が施設を抜け出したりする可能性がある中で、
親切丁寧に仕事を教えている余裕はない訳で、
のび太が大いなる足手まといになっていたのだと思います。
それにしても、20歳も年の離れた若者に罵倒されるのは…。




事務所の職員が、
「 のび太さん、凄いですね!
  年下の人達からあんな言われようしても、
  へこたれずに仕事を続けられるんですもの…。」
なんて同情される日もありました。




でも、年齢には関係なく仕事上の先輩ですから…。




早番・日勤・遅番・夜勤
それぞれの交代時には申し送りがあるんですが、
「言っても分からないだろうから…。」 ってな感じで
のび太がその場にいても無視されて、
「お疲れ様でした。」 なんて言う挨拶を交わす事も無く、
一人職場を後にして、徒歩20分の最寄駅へ向かうのでした。
(現在はマイカーでの通勤です。)




駅へ向かう道中の心境は、悔しいとか怒りとかではなく、
情けなくて惨めで、自分の存在が疎ましく思える感じでした。



それでもナニクソと続けられたのは、
老後を考えた時、この状況が最善なのだろうという事と、
家で、のび太の帰りを待っている母の存在。
何よりも支払いに追われて先々の不安に喘いでいた自営業からの解放が、
これしきの事…と思わせてくれました。




それから3ヶ月が経ち、今ではイッパシの介護職員!
のび太さん、これお願い!」
のび太さん、こちら手伝って頂けますか?」
と、少しは頼られる存在に成長しました。




そんな中、12月からは夜勤も始まりました。
今は指導役のスタッフと2人体制の夜勤ですが、
今月中旬からは単独での夜勤となります。
9人の認知症高齢者の見守りと介助を一人でこなす訳です。
16時半〜翌日の9時半までと言う、17時間にわたる勤務です。




名古屋を離れるときには63kgだった体重も、
55kgに減少しました。
食べても食べても追いつかない状況でしたが、
最近は現状維持で、体重減少は止まりました。 



家に帰れば母の世話。
風呂に入れ、食事の世話をし、洗濯や翌朝の準備。
あっと言う間に一日が終わってしまい、
パソコンを開いたりする時間もなければ、
TVだって食事中にニュースを見る程度です。



でも、楽しいんです。
母と過ごす時間がとても楽しいのです。
寝顔を見ながら、「歳とったなぁ〜。」 と思い、
「一日でも長生きしてね。」 と心でつぶやき、
少しでも親孝行の真似事が出来ている現状にホッとします。
楽しいと言うよりも、幸せと言った感情が湧いてきます。




時々姉が、食事や飲みに行こうと誘ってくれますが、
それよりも母と過ごす時間を大事にしたいと感じるのです。
「あんなに外食や飲みに行くのが好きだったのにねぇ〜。」
と、姉が不思議がります。
「よほど相性が良いんだね、あんたと母さんは…。」 と姉が言います。




年に数回の帰省で数日を親と共に過ごしていた時には、
歳老いて行く親の姿を見るのが辛かった…いや、嫌だった。




どうしてこうなっちゃうんだろう・・・って。




現実逃避と言おうか責任逃れと言おうか、
目の前にあるものを素直に受け入れる事が出来ないでいた自分があります。




今こうして母の人生の最後を共に過ごす時間が楽しく大事に思えるのは、
これから始まるであろう、本当の意味での介護に意義を持たせるためなのかも?




進行する認知度の低下や身体機能の低下に加え、生理機能の低下。
精神的な意味においての人生・身体的な意味においての人間と言うものを
終わらせようとしている親の姿を傍でシッカリと見届けたい。
今の時間が意義あるもので楽しく大事に思えないと、
やがてやってくる本格的な介護は辛いばかりになる。
その時に備え、今ある姿をしっかりと目に焼き付けて、
親が深い愛の中で子の成長を見守ってきたように、
慈愛の心で、子として親の末期を見届けなくてはと思えるのです。




老いた母の姿を愛おしいと思える心を育てて慈愛に成長させないと、
やがて来るであろう看取りの介護に太刀打ちできませんから。





のび太と暮らし始めて4ヶ月を過ぎた母に変化が表れています。




歓迎すべき変化は、顔色が良くなり目に覇気が出てきて、
表情や言動が穏やかになりました。




考えさせられる変化は、のび太への依存が出てきたことです。
今まで一人でこなしてきた炊事や服薬が、スッカリのび太任せ。




これは問題だ! と、姉に相談すると、




「とは言えども、母さんも86歳だよ。
 依存が生じたって、残りの人生を穏やかに過ごす事が一番よ。
 貴方が負担に感じないのなら、今のままで良いんじゃないの?」




そうだね…。




いや、待てよ。
依存が生じているのは、のび太かも?




今は母がいての暮らしに張り合いが持てているけれど、
母がこの世を去ると言う、迎えざるを得ない時が来たとき、
のび太は…。




そんな時には、今までお付き合い頂き、
ブログを読んで下さっている方々に縋(すが)るしかないですね。




普段はご無沙汰ばかりで勝手を申し上げますがすが、
その節は、宜しくお願い致します。