東海湖

nobita7202008-03-04

聞いた事が無い・・・と言う人も多いと思うが、
中京一帯は、数百万年前は東海湖と言う湖底であった。→


琵琶湖が北へ北へと移動して来た事は広く知られているが、
東海湖は西へ西へと移動を続けた湖だった。


琵琶湖の6倍もの大きさがあった東海湖に流れ注いでいたのが古木曽川
その河口は多治見辺りであったのが、常滑四日市を経て甲賀方面と進んだ。


陶器に興味のある人ならば、この地名でスグに理解できると思う。
美濃焼瀬戸焼常滑焼・万古焼信楽焼 と、古くからの焼き物の産地。


東海湖の河口であったが故に、良質の粘土層が形成され、
愛知丘陵や名古屋台地の隆起によって西へ押し出されていった東海湖。
隆起した台地は、当時の亜熱帯気候によって花崗岩が風化され、
石英粒や長石粒となって粘土層と一緒に堆積して行く。
その結果、愛知丘陵や名古屋台地の周辺部では、
良質の陶土層が出来上がったと言う事だそうだ。


って、何でまた今頃こんな話題?


大河ドラマ篤姫を見ていて、チョット調べたい事があって検索。
薩摩の歴史を紐解く内に、尾張の歴史に辿りつき、そこからドンドン…。
で 「第三紀鮮新世」 の古代まで行っちゃったって訳。


そうそう、薩摩藩史を調べていてビックリが、


「オイッ! コラッ!」  と、威張って他人を呼び止める言葉。


「鹿児島弁」 だったものが、
官憲に多く所属した薩摩武士によって広まったものらしい。