如かず・及かず・若かず。 これらは、「しかず」 と読むそうだ。




「百聞は一見にしかず。」 の 「しかず」。




如くでは無い。 と 及ば無い。 は、分かる。




どの様であるかを百回聞いた所で、実態を一回見る如くでは無い。
どの様であるかを百回聞いた所で、実態を一回見る事には及ばない。




つまりは、「聞くよりも見た方が早いぞ!」 と言うい事であろう。





「若かず」 は、字面からしてどう解釈すれば良いのだろう? 
「若」 の訓読みは、「わか」 の他にもあるのだろうか?





       「もころ」 だって!  



同じようなさま。よく似た状態。つねに連体修飾語を伴い、
「…と同じように」「…のごとく」の意で副詞的に用いられる。



で、「もころ」 は、「如」 とも 「若」 とも書くそうだ。



「如(若)己男」 は、「もころお」 と読み、「己の如し男」 と言う事で、
自分と同じような男。自分に匹敵する男子。恋の競争者。 だって!





「若」 に、そんな読みや意味があったんだぁ〜。




だから、「もしくは…」 に、「若」 の字が当てられて、
「若しくは〜」 で、「〜と同じような〜」 と言う事かぁ〜。 



「〜、及び〜」 と 「〜、並びに〜」 は、英語の < and > であり、
「〜、若しくは〜」 と 「〜、又は〜」 は、< or > になる訳だが、
「ごとし」 では同じ用法だった 「及」 と 「若」 も、
ここでは意味合いが違って来ている。






そう言えば、「若干」 で言う所の 「若」 は、どう言う意味?




イメージとしては、「若」 から 「歳が少ない」 みたいな感じだし、
「干」 からは 乾いた感じで水分が少ない感じがあり、
両方合わせた「若干」 で、「極々少ない」 見たいな意味なの?


    ↑ 何だか、馬鹿丸出しの様な感想だわ。 (笑)





へぇ〜、「若干」 って、
「少ない」 んじゃなくて、「あまり多く無い数」 なんだぁ〜。




「若干」 の 「干」 を、「一」 と 「十」 に分解し、
「一の若く (ごとく) 、十の若し (ごとし)」 となり、
つまりは、「一の様であり、十の様でもある。」 と言う事から、
「ハッキリはしないが、あまり多くは無い数。」 と言う意味である。





「若」 に、「若(ごと)し」 や 「若(も)しくは」 の読みがあり、
<同じような> と言う意味があるんだと言う事は分かったが、
「若」 を調べている過程で へぇ〜と思った事が2つ。




「若輩」 の本来の意味は、何か一つの道を究めようとしている中で、
まだまだ未熟者であると言う事を意味するそうだ。


確かに 「輩(やから)」 で、ある種の人間である事を表しているので、
「若輩者」 では、「未熟者 者」 と言う二重表現になってしまう。
「頭痛が痛い」 みたいな感じかな?! (笑)



「若輩者ですが…」 ではなく、「若輩ですが…」 で良い訳で、
ましてや、道を極めんとして志を立てて日が浅い未熟者ですが、
と言う意味なので、結構な歳を重ねてから使うべき謙遜表現であり、
二十代の若者が使う言葉では無いらしい。







       「若干二十歳の青二才ですが、…」




青二才」 に関しては説が諸々あるので省略するが、
この場合は、「若干」 では無く、「弱冠」 を使うべき。



若さを表すが故に、「若干」 を使いがちだけど、間違い。





         「弱冠」



「弱冠」 は、中国の周の時代の制度に基づくもので、
古代中国では20歳の男子を 「弱」 と言い、その歳になると元服をし、
冠を戴く事から、20歳で元服をした男子を 「弱冠」 と称した。


日本に伝わった当初は、20歳の男子と言う意味で使われていたが、
後になって、「若い」 と言う意味に転じ、その後は女性に対しても使われ、
現代においては、「弱冠5歳でした。」 の様に、幼児にも使われる。


この場合は、単に若いと言う事を意味するのでなく、


一般的には、○○歳ぐらいで成し遂げるであろう事柄を、
それよりも若い年齢の時に成し遂げたと言う意味を持ち、
「○○を成し遂げたのは、弱冠○○歳の時であった。」 の様に使われる。



だから、成し遂げた事柄が、一般的な年齢ならば、
「小学校に通い始めたのは、弱冠7歳の時であった。」 とは言わない。







もう一つの疑問。 「若(し)かず」 を調べていて…。




     「三十六計、逃げるに如(し)かず。」



「三十六もの計画を練るより、逃げるが勝ち」 との事だろうが、
どうして 「三十六計」 なの? 何か故事でもあったの?





やっぱり中国の 「兵法三十六計」 なんだぁ〜。



どれどれ…と、↑ を読み進んで辿り着いたのが、




魏晋南北朝時代の宋の将軍檀道済は
「三十六計逃げるに如かず」という故事でよく知られているが、
檀道済の三十六計と『兵法三十六計』は直接の関わりはない。
檀道済の三十六計がどのようなものであったかは未だ不明である


         
          ギャフン! 不明かよっ?!



でも世間には、言いきっちゃう人が居るんだねぇ〜。「中華的戦略戦術」



【兵法三十六計】
宋の将軍 檀道済が言い出したものだ
南宋書』王敬則「檀公の三十六計中、走を上計となす」

【三十六計逃ぐるにしかず】逃げるべき時には逃げて
身の安全をはかることが、兵法上の最上策である。




彼の意見が史実なのであれば、スッキリ! するのだが、
ほとんどのサイトで、兵法三十六計と檀道済の三十六計は関係ない。
その檀道済の三十六計がどのようなものであったかは、定かでない。
と言っている。



悩ましい限りですわ…。