全員無事です。

名古屋は震度4で、フェリーに乗っているような揺れがありました。


ガタガタと言うのではなく、ユラユラと言う感じ。


阪神淡路大震災の時に感じた揺れと似ていたので、


名古屋からは遠く離れた所の地震だと分かりましたし、


遠くの地震がこれだけの余波をもたらすのだから、


かなり大きな地震だと直感。


ま、ま、まさかっ!


両親や姉家族が住む仙台が震度6強って…。


安否を確認しようにも通信網は寸断されて、10分後には不通になった。


ニュース速報から完全に通信が不通になる間に、姉とはメール連絡がついた。


両親を含む家人の安否を知りたいのに、


「こちらは大変です。電気も水道もストップしました。まだ揺れています。」


ちょちょちょっと! それだけ?


「皆 無事です。」 とか、のび太を安心させてくれる内容を送信して下さい!


その後は、メールも送信不可能となり完全に連絡が途切れた。


千葉に住む甥は姉の息子なんだから、


何か情報があるだろうと思ってメールした。


「とりあえず無事みたいですが、千葉も相当なものでしたので。。。」


えぇ〜〜〜っ! 余計不安が増したじゃん!


姉は無事のようである事は分かったが、83歳になった両親は?


仕事中の義兄や姪夫婦は? 保育園に通っている姪孫は? 建物は?


色々な不安を抱えながら店に行って営業をした。


仙台の家族を案じた友人やお客さん達から電話が鳴りっ放し。


若林区で200人ほどが埋まってるようだ!」


えぇ〜〜〜、のび太の家族は若林区なんですけどぉ〜〜〜!


取り合えず、親族の携帯電話へメールを送信して置いた。


「皆さんの安否確認が出来なくて不安です。


落ち着きましたらこのメールを返送して下さい。


文章は不要です。空メールで結構です。」


そのメールに返信が届きだしたのは20時を過ぎた頃。


姪の旦那からは、「皆元気です。隣(のび太の両親)も超元気です。」


あの、「超」 とか要らないですから。。。


姪からのメール。


「部屋がグチャグチャで足の踏み場が無いから、実家に避難中。


 余震が多くって疲れちゃう!」 


元気そうで何よりだけど、「疲れちゃう!」 ってな程度なんだぁ〜。


通信環境が整って来たようなので、両親に電話をしてみた。


よく話す母親ではあるけれど、昨夜は一段と饒舌でした。


姉の家も両親の家も、建物被害は無く一安心。


1978年の宮城県沖地震を経験している人達は防災意識も高く、


この地域の地震は25〜30年サイクルで大地震が発生しているので、


近い内に大地震が起きると言う事は、日常的に語られていました。


のび太が帰省した折に、これでもかっ! と言うほど 


防災用つっかえ棒を設置して来たので、倒壊物も無く食器も飛び出さず、


震度6規模でも、写真立てが倒れた程度の被害だったそうです。


実家はプロパンガスなので食事の支度も出来るし、


前回の地震の教訓から石油ストーブの用意もあったので、暖も確保。


電気がストップしている以外は問題なく生活しているようです。


やはり防災グッズは設置&常備しておく事が大事なんですね。


ただTVを見る事が出来ずにラジオからの情報だけなので、


被災者の方が事の甚大さが分かっていないんです。


電気が復旧してTVの映像を見たら、さぞかし驚く事でしょう。


御心配頂いた皆様にはお礼を申し上げますと同時に、


各地で被害に遭った方々にはお見舞い申し上げます。