尾州早すし

nobita7202012-02-23


尾州早すし とは、


酢の製造会社、「ミツカン」 の所在地、
愛知県半田市で復刻された、江戸期の寿司。


地元の商工団体や日本福祉大学で構成する
知多ソフィア・ネットワークが提案。


創業200年を控えたミツカンが、
中埜家が所有する古文書などを整理して、
当時の粕酢を現代に蘇らせた。




尾州早すし」 を作り出すまでの経緯や、
江戸期の寿司や粕酢についての事は、以下のページを参照されたし。




「毎日新聞:毎日JP」   「山田家:尾州早すし」   「mizkan」




上記のページの記事を読んで頂いたら、
「そう言う事か…。」 と思った人も、
「イマイチ良く分からん。」 と言う人も、
どんな寿司かは、画像で見て下さい。









↑ が、「山田家Bell」 の、¥2,100で提供されている 「早すし」 です。




↓ のび太が吸っている煙草はロングサイズなので、
同行した方の煙草のをお借りして大きさを比較してみました。
勿体無かったけれど、ネタをはがして箸袋とも比較してみました。









まぁ〜、とにかく大きい。
回転寿司の2倍、高級寿司の3倍の大きさはあると思います。
穴子は丸ごと1匹使っていますし、大好きな小肌も食べ応えがあり、
賛否両論の早すしですが、のび太は大好きな寿司です。









寿司飯もそうですが、ガリにも砂糖を一切添加せずに、
粕酢と塩だけで作っています。








先ほどネタを剥がしたのには理由があって、
この寿司飯の握りの部分の画像が欲しかったのです。









この早すしは要予約ですし、食事の開始時間も尋ねられます。
山田屋さんは寿司屋では無く、和洋レストラン店なのですが、
そんな店で、江戸期の寿司を再現し、要予約で時間厳守と言われても…。
と、何となく胡散臭い感じがしていた事は確かです。




入店するとテーブル席か座敷のどちらが良いかを尋ねられ、
座敷をお願いすると庭を眺められる個室に通されました。




お茶を運んで来た仲居さんが、
「本来なら、店主から早すしについての説明があるのですが、
 本日は生憎、mizkan さんへ出かけておりまして…。」 との事。




いえいえ、別に説明などは要らなくて、
どんなものか、食べてみたかっただけですから…と心の中でつぶやく。




寿司が運ばれて来て間もなく、
店主と言うよりは社長! と言う感じの山田さんが挨拶に来た。




早すしの研究で、ミツカン創業家の中埜家へ出かけていたとの事。
そこで暫しの間、早すしの開発秘話を聞かせて頂きました。




江戸で爆発的に流行したのだから、「江戸の寿司」 とか名付けたかったが、
江戸前寿司」 との混同や寿司組合との問題があって 「江戸」 の名を諦め、
粕酢の里である尾張国に由来する、「尾州早すし」 にしたの事。




当初は半田周辺の寿司屋に持ちかけた話だったが、採算ベースに乗らない為、
寿司店には ことごとく断られたので、話が山田さんの所に回ってきた。
山田屋さんは寿司とは無縁だったが故に話を引き受けてしまい、
それからの苦労が如何に大変だったかを簡単に話して下さいました。
さもありなん! 
当時を知る術が無い中での復元・復刻・再現などと言う事は、
異論各論が噴出して来るもので、それに対応するには、調査研究を積み重ね、
これ以上は往時の姿に近づけようがない
と言う所まで辿り着かなくてはならない。





当時は米酢も砂糖も高級品で庶民の口には入らない。
塩と、ほんのり甘く香り高い粕酢を使う事で味わいある寿司飯が出来た。
江戸期の米質を調べてみると、
寿司飯にしてから時間が経っては美味しくない。
なので、出前や持ち帰りには不向きで、
立ち食い屋台で、寿司飯が人肌の温度帯で提供されていただろうと言う。
だからこそ、再現された早すしを、往時を偲んで味わう為には、
要予約で時間厳守と言う事になるのです。




あれ、出勤時間になっちゃいましたので、続きは後ほど…。