寿司の数え方

nobita7202012-02-25

寿司は1貫2貫と数えるのが
一般的な数え方だと思うが、
何故に 「貫」 なんだろう?




23日の日記に書いた
早すしの店の山田社長が、
話してくれた。




右上画像にあるのが、江戸時代の握り寿司を再現した寿司飯。
mizkan が江戸時代の粕酢を再現したが、米酢と違って黄色く色づいていた。



mizkan は創業当時の屋号を丸勘と言い、
江戸の町で大人気だった丸勘の粕酢は「山吹」と言う商品名だったそうだ。



山吹と言えば、小判の別称としても使われていましたよね。
丸勘の山吹を使用した寿司飯は山吹色で小判を10枚重ねたようになり、
当時の小判10枚が1貫文に匹敵したので握り寿司を貫で数えるようになった。




へぇ〜。 と、うなづいてみたものの、
本当かな? と言う疑問を持って名古屋に戻り、検索で調べてみた。




「貫」 は重さの単位でも有り、3,75Kg。1文銭はそれの1/1000 なので、
3,75g となる訳で、これは現在の5円玉と同じである。
5円玉には穴が空いていて、「五」 と言う漢数字の表記しか無く、
重量を同じにしているのは当時の基軸通貨であった1文銭を再現したとか。



小判の単位の「両」とは、重量の単位でも有る。
貫と両を、金銭的な価値や重量としての同一性を調べたが、
結局は、何の共通性も見出せなかった。



色々と検索して数々の意見を読んでみたが、どれもこれもハッキリしない。



山田社長の言う、小判と一貫文との関係と言う意見から離れた所で調べた。




握り寿司が流行り出した頃の文献を調べてみると、
「1個・2個」 と言う表記しかないが、
その後に流行り出した巻き寿司を 「1巻」 と数えるようになり、
その「巻」に対して「貫」の字があてられたと言う考えが主流だ。




これまた眉唾もののような気がする。
握り寿司を「個」で数えていたのなら、巻き寿司は「本」でも良い訳だし、
例えば「巻」で数えていたとしても、「貫」に変化する説明がつかない。




そんな中で、のび太の考えが、ある方向で整理がついて来た。



江戸時代の通貨制度は 「三貨制度」 と言い、金・銀・銭で構成され、
それぞれの価値が流動的に変化していた。
上方の銀と江戸の金の相場の変動で為替差益を生み出して儲けた両替商。
江戸初期の慶長小判は、現在の6万円程度と言われるが、
江戸時代末期に乱造された万延小判になると、3千円程度まで下落した。
寿司が流行った弘化年間に、現在の価値で1万円程度と言われる1貫文が、
価値が下落し続けてた1両と同価になっていた事は有り得ない話では無い。




そこで、貫文銭 ↓ を見て頂こう。


     



穴の空いた1文銭千枚を糸に通したものが、貫文銭である。
巻き寿司に似ていませんか?
貫文銭に似た巻き寿司1本を「1貫」と洒落で呼んだのではないだろうか?



まっ、これはのび太の考察なので、真偽のほどは分かりません。



しかし、握り寿司でも巻き寿司でも大きくて食べづらかったので、
2つに切り分けて提供されるようになり、
そこから寿司1貫と言うと、握り寿司が2つと言うのが一般的になった。
と言うのは、事実に近い話だと思う。



トンカツが何枚に切られて出て来ようが、
1皿 ○○○円である事に変わりが無いように、
1個の握り寿司が何個に切られて来ようが、1貫 ○○○円なのだから、
1貫200円と書いた値段表を掲げ、2個セットの握りを出し、
倍額の\400 を請求する寿司店は、貫の意味を勘違いしていると言う事だ。
そう言う寿司店は、1皿とか1個と値段を記すべきと言う事ですね。



参考にさせて頂いたサイトは、


「両」  「江戸時代の貨幣価値」   「三貨制度」 などです。